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刻の本

古びた本は 今も昔も刻(とき)を刻む。

キスの日

誰にでも間違いはあるというもの。
しかしこれは、予想外とでも言おうか。
どうしてこうなったとは正に当人以外の心の声。
さてさていったいコレをどうしようかと、彼らは互いに視線を交わし合う。

*****


それはなんてことないありふれた日常の、ありふれた夜。
ここしばらく忙しかった大人たちは、ようやく一息つけたこの日に自然と集まった。

集合場所は大人たちが小さい頃から世話になることが多かった彼の人の屋敷。
各々片手に酒を携え、一所に集まると、挨拶もそこそこに酒宴が始まる。

「最近どうだい?」
「特に変わんないですよ」
「君のところは新しい学期に入ったのだったか」
「ああ。今年も新入生が多くて大変さ」

酒宴の席にはこの屋敷の主とビャクヤとリュウオウ。
今この場にはいないが、主の妻であるアリシアと、リュウオウの妻のユキメもいる。
彼女たちは酒飲みをしている男たちの為にと今頃厨房に居るのだろう。

「そういえば、コウリュウ君たちも連れてきたのかい」

ふと、思い出したように主が問う。
それに答えたのはビャクヤだ。

「おう。陽廻からこっち、何だかんだでずっと忙しくて春期休暇もここに来れなかったしなあ」
「一息ついた事もあるし、俺が許可を出した」

世界最大にして唯一の魔法学校、エリアル学園。
そこに在学中のコウリュウたちは、生徒会に所属している。
そしてつい先日までは新入生を迎える時期とあって非常に忙しい身であった。
なにせこの学園、通常の学校とは違い生徒会の担う役目が非常に多い。
また、超の付くほどのマンモス校であるが為に行事のある月はいつもこうである。

それでもなんとか遣りきり一息ついた今日、大人たちは労いの意味も込めて子供たちを連れてきたのだった。

「特に今年は生徒会長の代替わりと生徒会役員の入れ替えとかもあったからな」
「オレは在学中生徒会に居たわけじゃないですけど、その忙しさは近くで見てたんで」
「代替わりの年の忙しさは半端ないからな…」

業務引き継ぎと役員選出、それらに伴う書類作業。
特に役員の選抜には時間がかかる。
それらもようやく終わったところであった。

「あいつら、そのまま厨房行ったからな。今頃はつまみを用意する手伝いしてるだろ」
「ついでに自分たちの食べるものも作ってそうですけど」

屋敷に到着してすぐ、ユキメ達と食べるものを用意すると言って厨房に向かった彼らの姿を思い出して2人がクッと喉の奥で笑う。
忙しさから抜けてまだ日が経っておらず疲れも蓄積されているだろうに、気の利く子供たちである。

そんな事を思いつつゆっくりと杯を傾けていた大人たちの耳に、扉をノックする音が伝わる。
厨房にいた妻と子供たちが戻ってきたのだろう。

返事を返さぬうちに部屋の扉が開かれる。
身内だからと言わんばかりにすぐさま扉を開いたのはレイナだった。

「つまみ、持ってきたよ」

そう言って室内に入ってきた彼女の片手には一口大で食べやすいよう配慮されたつまみが乗せられたプレート。
彼女の後ろから続いて入ってきたコウリュウはサービスワゴンを押している。
それに続いて入ってきたアリシアとユキメ、そして最後にシュウが扉を閉めて大人たちの傍へと寄ってきた。

大人たちは席を詰め、彼らの座る場所を空けてやる。
テーブルに料理を並べた彼らはありがとうとお礼を一つ言うと、空けられた席へと腰を下ろした。

「すこし多くないかい?」
「あら、私たちも飲むのだからこんなものよ」

テーブルに並べられたつまみの数と、子供達が食べるのだろう料理の数。
人数から考えるといささか多い気もするが、今日は妻も酒を飲むようで、さらに育ち盛りの子供もいるからこんなものかとすぐに納得する。
並べられたつまみは、つくねの甘辛焼きやサーモンと生ハム巻き、クラッカーにチーズなど、子供たちも摘まむことを前提としたものが多い。
相変わらず夫より子供第一の妻たちだと、主とリュウオウはどちらからとも無く小さく笑いをこぼした。

そうして始まった子供たちも混ぜた酒宴は、穏やかな時間と共に経過していく。

*****

「あ、おい!」

酒宴の時間も随分と経った頃。
ビャクヤが焦った声を上げる。
その声に、自然と彼への視線が集中した。
声を上げたビャクヤは己の右隣に顔を向けている。

そうして何事かとみながビャクヤの視線をたどり見た先には、シュウが居た。
その手には空のグラスが持たれている。
そしてそのまま視線を上げ顔を見、一同は納得した。

シュウの顔が、ほんのり赤みを帯びているのだ。

「ったく、オレの酒と間違えるなよ」
「あらあら」

仕方ないと言わんばかりに髪をクシャリとかき混ぜるビャクヤから離れた場所、主の隣に腰を下ろしていたアリシアは苦笑いをしている。
カミナギ家では教育に関して子供の好きなようにさせている節があるためか、特に怒る様子は見られない。
主に至っては事態を確認するなり酒飲みを再開している。

そんな親2人より慌てているのはビャクヤを始め周りの者だ。

ビャクヤが飲んでいたのは果実酒。
甘口で口当たりが良いよく飲みやすいが、アルコール度数の高い所謂酒精強化ワインと呼ばれるものである。

真面目な面のあるシュウは、普段から大人たちが酒を飲んでいてもどんな酒を飲んでいるのか興味は示すもののそれまで。
口を付けた事はない。
それに酒を間違えるようなこともないのだが、疲労の蓄積された状態と夜も更けつつあるという事で判断力でも鈍っていたのだろう。
グラスの半分近く残っていた酒を全て飲んでしまった彼は、すっかり酔いが回っているようで頭がふらついている。
フラフラと左右に頭が揺れているその横では、案外世話焼きなコウリュウが水を差し出したりと世話している。
レイナもどうやら酔っているシュウの事が心配なようで、いつの間にやら席を立ち彼の顔を覗き込んでいた。

「シュウ、大丈夫?」
「んー…」
「ほらシュウ、水飲め水」
「あり、がとー…」

すっかり顔を赤くしているシュウは、たどたどしい口調でふにゃりと笑う。
どうやら彼の酒癖は悪くないようだ。

宅飲みだし、幸いかアルコール度数は高いが30度を超える代物ではない。
コウリュウが世話を焼いているし明日には響かないだろう。
特に問題もなさそうだと大人たちは即座に判断した。
各々酒飲みに戻りつつ、一応とばかりに子供たちの方へ意識を向けておく。

「シュウ、立てるか?部屋に戻るぞ」
「ほら、連れてくから立って」

コウリュウが横からシュウの片腕を取り、レイナが正面からもう片方の手を引く。
うまく立てないらしいシュウを2人が引っ張り上げようとしたその時。

不意にシュウがレイナの手を引っ張り返した。

「んなっ!?」

予期しなかったシュウのその行動に、レイナは思わず体勢を崩す。
驚いたレイナは間の抜けた声を上げ、シュウの上へと倒れ掛かった。
とっさにソファーの背凭れに手をつくことでなんとか全体重を掛けずに済んだレイナはしかし、シュウの上へと乗り上げるような体制になっている。

「シュウ…」

とっさとは言え彼女にとっては不本意らしいこの体勢に、レイナの機嫌は一気に下がったようで。
驚き見開かれていた眼は半眼に、先ほどまではソプラノを奏でていた声は1オクターブは下がっただろうか。
レイナの全身からは不満気な雰囲気が発せられている。

そして彼女をそんな体勢にした当の本人はと言うと、未だ赤い顔ではあるが眉が下がり心なしか目に水の幕が張られている。
それはどんどん容積を増し、はっきりと判るほどにまでなっていく。
瞬きすれば確実に零れ落ちそうな程だ。

「レイナぁ…」

表情だけでなく、声も情けないものになってしまっている。
この時みなが思った。
酒癖悪くなさそうだと思ったのはフェイクだったと。
実際の彼の酒癖は泣き上戸なのだろうか。

みながそう思っているうちにもなんだか状況はあまりよろしくない方向へと傾き始めているようだ。
先程よりもレイナの機嫌が下がっている。
これにはさすがにシュウの両親も楽観的にはしておらず、どうなるのかとハラハラしている。
なにせレイナは無自覚の様だが事シュウが関わると感情の起伏が激しくなる。
いい意味でも悪い意味でも。
大概の場合はレイナが機嫌を悪くするとすぐにシュウがなんらかの対応をしているのだが、今回はシュウが完全に酔ってしまっている。
シュウ以外ではなかなか機嫌が収まってくれないことは重々承知で、さぁどうすると大人たちが互いに目配せを交わした瞬間。

泣きそうだったシュウが行動を起こした。

「君、には…伝えて、おきたいから…知っていて…ほしいんだ」

ほろりと溜めていた雫を零し、シュウがそういう。
そして周囲が固まっているその隙にと言わんばかりにレイナの唇に己のそれを寄せ。

そっと口付けた。

しかし唇が触れ合った瞬間。
ゴスッっと良い音が室内に響いた。

音を発生させたのはシュウの頭と床。
音の原因を作ったのはレイナの拳だ。

堅く握りしめられたレイナの拳は、それだけでアレがシュウの頭を殴ったのだと理解できる。
憐れシュウは殴られた衝撃のまま深い底へと意識を沈めた。


翌朝酷い痛みを訴える後頭部を擦るシュウは、昨夜の記憶をいっさい持っていなかったという。
また、シュウ自身は何も覚えていなくともその時その場に居合わせた者はしっかりはっきり覚えているもので。
レイナがしばらくシュウを避けたのは言うまでもない。
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