それは正しく空前絶後。
長い歴史を刻む世界において、これほどの力を有した者は未だかつて居なかった。
それは正しく前代未聞。
長い歴史を持つ学園において、こんなことをしでかした者は未だかつて居なかった。
それは、伝説となり語り継がれる。
彼らが紡ぐ、物語。
*****
青い空を背にしてそびえ立つ、歴史を感じさせる建造物。
広大な敷地を有し建物自体もその広さに見合った大きさのそこは、複雑に入り組んだ内部によって慣れ親しんだ者さえ迷わせることのある一種の迷宮。
常ならば千を超す人数が集まり生活し学ぶ、ここはエリアル学園。
しかし本日は、とある事情により普段よりも格段に少ない人数しか集まってはいなかった。
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。私たち在校生一同は、みなさんの入学を心から歓迎いたします。」
そう、本日はエリアル学園の入学式。
講堂内には教師や在校生の一部、そして真新しい制服に身を包む新入生の姿がある。
新入生の多くはこれから始まる学園生活への期待で顔を輝かせ、実に微笑ましいものだ。
入学式は既に新入生入場から新入生呼称・認定、学園長の祝辞を経て在校生代表の祝辞へと移っている。
在校生代表――この学園においてある程度の権力を有する生徒会長は、舞台の上から新入生一同を見渡しつつ、淀みなく祝辞を述べていく。
「以上を持ちまして、私からの歓迎の言葉とさせていただきます。」
生徒会長は、学園生活にいくらかの普段を抱いているであろう新入生を支援する言葉を織り交ぜた祝辞を述べると、そう締めくくった。
マイクから一歩下がり綺麗にお辞儀をして、舞台を後にする。
「それでは次に、新入生代表にご挨拶していただきます。」
生徒会長が席に着いたのを確認した司会進行役がそう促す。
しかし。
本来ならここで立ち上がるべきはずの新入生が、居ない。
本来なら最前列に居るはずと誰もが目を向けるが立ち上がる生徒の姿はなく、それでは他の列にいるのかと後方へ視線を移すがやはりどこにもその姿はなかった。
いったいこれはどういうことなのか。
徐々に困惑のざわめきが講堂内に満ちていく。
そして誰もが出した結論は一つ。
ふけたのだ。
これには教師在校生は無論、新入生一同も驚愕である。
創立数百年は経つこのエリアル学園入学式において、新入生代表の宣誓をふけた者などいない。
代表を務めるという事はつまり、入学試験において最も優秀な成績を出した者ということなのだから。
優秀なのに非常識極まりない事をしでかした人物とはいったいどんな人なのか。
式場に居る者はみな、思い思いに想像を巡らせる。
そんな彼らを余所に頭を抱え呻く者たちが居た事に、様々な想像をする大多数の人たちが気付くことはなかった。
*****
「レイナー、どこ行ったー?」
所変わって此処は勉学塔の渡り廊下付近。
今学園にいる者はみな講堂に集まっている時間にもかかわらず、そこには一人の男子生徒の姿。
まだ新しい制服であることを見ると恐らく新入生なのだろう。
そんな男子生徒は周囲を見渡しつつレイナという名の誰かを探しているらしい。
しきりに周囲を見渡す男子生徒は廊下から少しばかり外れた場所、周囲に活けられた木々の間に何か見るけたようで、小走りに駆けて行く。
そうして進んだ先には淡く輝く長い金糸を高い位置でひとまとめにした女子生徒の姿。
男子生徒同様真新しい制服に身を包んだ彼女は彼に背を向けた状態で立ちすくんでいる。
「レイナ、何やってるんだよ。式場に戻ろう」
「シュウ」
男子生徒――木漏れ日を受け角度によって様々な色に染められている銀糸と、少しの不満を滲ませつつも根底には穏やかな色を宿した紫電の瞳の少年、シュウは見つけた彼女にそう声をかける。
声をかけられた金色の女子生徒はその声に答えるように彼の名前を呼びつつ振り返った。
そこには蒼穹を切り取ったかのようなどこまでも澄み渡った蒼を湛える双眸。
ドレスを纏えば見る者を惹き込ませるのではないかと思わせる容姿を持つ彼女は、シュウの姿を見止めてふとその瞳に喜色の色を浮かべた。
「どうした?」
「ん、ちょっと…ここは、色んな“声”が聞こえるなって。少し、嬉しくなった」
「そっか」
レイナが瞳に乗せた色に気づいたシュウが問うと、彼女はそう答えた。
抽象的なそれは傍から聞けば何を言っているのか意味は通じないだろう。
しかし彼女の事を知っている者ならば、彼女の言葉が何を指しているのかすぐにわかる。
「たしかに、ここは多いな。人の数もそれなりに多いけど、それ以外の存在も」
「うん。これからの生活が楽しみ、かな」
「それはよかった」
シュウもまた何かを感じ取っているようで、レイナが先ほどまで見ていた方に視線をやる。
その先に見えるものはいないが、たしかに彼らは視て感じていた。
しばらくそうしていた二人であったが、それを断ち切ったのはシュウであった。
「それより。レイナ戻るぞ。式はとっくに始まってるんだ」
「えー…」
シュウが再び戻ることを促すと、レイナはあからさまに不満げな表情と声をする。
心底嫌そうな顔ではあるがこれは決められている事なのだからとシュウはいうと、レイナの腕を取り元来た道を戻り始めた。
腕を引かれているレイナは不満げな様子とは裏腹にちゃんと従ってくれるつもりの様で、大人しくされるがままであった。
*****
あの後、シュウとレイナは迷宮のような学園の敷地に若干迷子になりつつもなんとか入学式の会場である行動に辿り着いた。
そろりと会場に入った二人であったが、彼らの姿に気づいた教員に詰め寄られたのは言うまでもない。
そしてそのままレイナは席に、シュウは壇上へと連れて行かれる。
どうやら数分の騒ぎだったようで、シュウは内心ほっと胸を撫で下ろしながらも新入生宣誓をやり遂げた。
この後の説教に若干の憂鬱はあったが。
果たして入学式後、顔見知りの教員からたっぷりこってり二人揃って説教されたのは言うまでもない。
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数少ないその力。
実際に見た者は殆どおらず、書物に残る記録も少ない。
実在しないとさえ言われるその力を持つ者が、今この前に――…
*****
「で、リュウオウ達は知ってたの?」
見事な調度品の置かれた室内に、彼らは集まっていた。
室内に置かれているソファーに座る者、壁に凭れる者など各々好きなようにしている。
その中で声を上げたのは、ソファーの背に凭れかかっていたコウリュウだ。
コウリュウは肘を立て、手で顎を支えながら対面するように座っているリュウオウへと問いかける。
「ああ、知っているというよりはおぼろげに悟っているって感じだったがな」
「あの子を見つけた時、涼やかな凛とした気配が残っていたから」
肯定するリュウオウの横ではレイナを間に挟んで座るユキメが彼の言葉を補足するように頷いている。
彼らがこの部屋に集まり話している内容は、リュウオウとユキメが引き取り育てている少女について。
先程この部屋の、この屋敷の主人の息子に連れられた件の少女がエンと睨み合った際に見せた力。
それは書物に僅かな記録が残るのみである氷の属性であった。
真夏であるのに氷柱が出来る姿は異様であったと、目撃したコウリュウは後に語っている。
余談は置いておくとして、今まで実際に目にしたことが有る者がほとんどいないその力。
まさかこの少女がその力を持っているとは思いもよらず、知っているだろうこの2人に話を聞くため彼らはこの部屋に集まっていた。
「氷の属性って希少だろ?引き取ってよかったの?」
「面倒事は確実にあるだろうな」
リュウオウ達が少女を引き取った時、唯一の生き残りとして色々と騒がれたものである。
しかし彼らはそれらを物ともせず、少女を引き取り保護者となった。
その時は騒がれこそすれ、それだけであったが。
少女が氷の属性を持つと知れたらどうなる事か。
「それでも、私たちはこの子を守り育てるわ」
「ふぅん。2人がそう決めたのならいいけど」
「・・・・・・」
先程の穏やかな雰囲気から一転、ピンと張りつめたような気配へと転じたユキメが言う。
その横のリュウオウも、真剣な眼差しでいる。
そんな2人を、間に挟まれた形でいるレイナが交互に見やる。
「この子には、できるだけ早く力の制御を覚えてもらおうと思っているの」
優しくレイナの頭を撫でてやりながらユキメが言う。
「あと、自分で自分の身を守れるように護身術程度は…な」
力の制御を覚えれば隠すことができる。
もし知られたとしても、護身術を使えるのと使えないのとでは大分違うだろう。
「そっか。もしさ、手伝えることが有ったら言ってな。俺、手伝うからさ」
「ああ、その時はよろしくな」
こうして少女の修行の日々が決まった。
屋敷の主人から話は聞いていた。
西北の島々の果て、魔物の集団に襲われて唯一生き残った幼子が居るのだと。
主人の息子と大して年が違わないらしいとも。
今は酷く他人に怯えているが、慣れてきたら会うこともあるだろうと聞いて。
少し楽しみにしていたのだが――…
*****
「………」
「………」
「ぇっと…」
現在地、裏庭。
現在の状況、なぜかブリザード。
俺の視界には無言で睨み合う黒と金が写っている。
2人の周りには陰廻月だというのに氷ができていた。
視覚的にではなく物理的に。
それを見て隣にいるシュウは困惑気味だ。
って、そうじゃなくて。
「なんでこの暑い時期に氷ができてんだ!?」
「問題、違う」
気が動転し過ぎていたのか俺も思考がずれていたらしい。
教えてくれてありがとうな、ゴウ(シュウとは反対側に居る赤髪灰眼の少年だ)。
なぜ今現在こんな状況が出来上がっているのか。
シュウから聞いた話をまとめてみると、リュウオウとユキメに連れられてやってきた少女(レイナというらしい)とシュウは、当の大人組によって遊んで来いと部屋を追い出されたらしい。
そしてそのままシュウはレイナの手を(強引に)引いて裏庭までやってきた。
どうやらシュウは俺に会わせたかったらしい(ビャクヤは現在魔導都市のギルドに居る)。
そして俺はというと、丁度友人と一緒に身体を動かしていた。
ちなみに友人とは俺の横に居るゴウと、レイナと睨み合っている黒髪赤眼の少年――エンだ。
エンは裏庭に来た2人の姿を見止めると、見慣れない少女の姿(彼らはこの屋敷の住人ではないが何かとこの屋敷に遊びに来ている)に興味を持ったらしく、早速構いに行ってしまった。
そして気が済むまで構おうとして――…
現在進行形で威嚇されている。
それもものすごい勢いで。
エンが睨み返しているのはただ単に彼のノリが非常に良いためだ。
この場合逆効果にしかなっていないのは明白だが。
エンのおかげで一気に下がってしまった少女の機嫌に合わせて、少女の内包する魔力がざわつき周囲を凍てつかせる。
真夏なのに周囲は真冬並みの寒さ。
正直笑えない。
そんなことを考えながら、範囲を広げた凍結面に俺は両隣の2人を下がらせた。
出会ったのは陰廻の月。
大人の腕に抱かれた身体は小さく、日が当たり輝く金糸がとても眩しい。
寝ているのだろうか今は閉じられている瞼に、その下の隠された瞳の色を思うと胸が高鳴るのを感じた。
*****
ここしばらく世界を騒がせていた魔物の集団が討伐されたとの知らせが世界を駆け巡ったのは、およそひと月前。
討伐隊が見事撃ち滅ぼしたと公表されたそれが違うという事を知るのは…ほんの一握りのみ。
彼らが件の魔物の気配を辿り行き着いたのは西北の島。
そこに色濃く残っていた魔物の気配はしかし、そこまでだった。
それ以降全く存在を掴むことができず、島唯一の生存者の口から「もう存在しない」と語られたことにより、世界への発表となった。
ただ一つ、誰が倒したのか謎のままに――…。
*****
そして島唯一の生存者はというと。
討伐隊の一員として参加していたリュウオウとユキメによって引き取られた。
その際に一悶着も二悶着もあったのだが、2人はそれをはねのけた。
その事は今回は割愛しておく。
とまぁ、色々あった一ヶ月。
2人は唯一の生存者、まだ小さな女の子を連れて親友の家へと訪れていた。
いくらか時間のかかった道のりに、少女はリュウオウの腕の中で眠っている。
寝ている少女を起こさぬようにしながら案内されるまま着いた部屋には親友の妻と息子(次男だけだ)がいた。
「アイツは?」
「仕事よ。なかなか終わらないみたいなの」
「またか」
苦笑して二人掛けのソファーに腰を下ろす。
そして先程から何やらずっとこちらを見つめている次男坊――シュウを見やって苦笑を一つ。
どうやらリュウオウの腕に納まっている少女の事が気になって仕方にらしい。
「その子が生き残りの…」
「ええ」
妻の方も少女が気になっていたのだろう。
いつの間にか彼女の視線も少女へと固定されている。
「レイナ、着いてるぞ」
リュウオウは少女――レイナの肩を揺すり覚醒を促す。
それほど眠りの深くない少女の事だ、これですぐに覚醒するはずだ。
「名前、レイナというのね」
「ええ」
「聞き出すのに一週間かかったがな」
唯一の生存者であった少女は両親と島人が件の魔物達に殺されている。
今こうして少女が生きているのは文字通り母親が命を懸けて守ったからに他ならない。
そしてそんな少女はというと、あの一件で他者を酷く警戒するようになっていた。
リュウオウとユキメはこの一ヵ月間、警戒を解いてもらうために色々と努力をしたのであった。
その結果が今のこの状態である。
「ん…」
もぞりと、リュウオウの腕の中で少女が身じろぐ。
そして閉じられていた瞼の下から現れたのは蒼穹の色をした瞳。
澄んだ色をした蒼はきょろりと周囲を見渡し、見知らぬ顔へと行き着いた。
「…っ」
瞬間、少女の身体が固まる。
抱いていたためにそれを感じ取ったリュウオウは、安心させるようにその背を撫でた。
「大丈夫だ、家で何度かあったことのあるおじさんがいるだろ?その人の家族だ」
「かぞく…?」
「そう」
『家族』の言葉に反応したレイナに首肯して、少女の身体を2人の方へ向けてやる。
レイナは未だに少し身体を強張らせているが、先ほどよりはましだ。
「はじめまして、私はアリシアよ。こっちは息子のシュウ。よろしくね」
「おれはシュウ!よろしく!」
アリシアと名乗った女性は微笑んで、息子のシュウも紹介してやる。
紹介されたシュウも、元気よく挨拶した。
「……レイナ」
そんな2人の様子に多少気圧されつつも、レイナはちゃんと返事を返す。
*****
あの後シュウが落ち着きなくそわそわしているためか、大人3人は幼子2人に遊んでくるようにと言って部屋を追い出した。
この屋敷は庭も含めてそれなりの広さがある。
子供2人だけなので多少の心配はあるものの、今なら休日という事も有り『エリアル学園』からコウリュウが帰ってきている。
だからそれほど心配することもない。
それに、レイナにはガーディアンがついているから危険はないはずだ。
そうして大人だけとなった室内で、彼らは話を進める。
「それじゃ、やっぱり学園に?」
「ああ。俺達も来年から教師としていくことになるからな」
「あの子はまだ先になるけど、今から人馴れさせておいた方がいいと思うの」
「そうね」
リュウオウとユキメは新年度からエリアル学園で教鞭をふるうことになっていた。
そうなれば2人は少女を育てるのが難しくなる。
数年後にはレイナも学園へ入学できることもあって、しばらくこの家に預けるという話をしていたのだ。
こうして本人を抜きにして色々と話が決まってしまったが、特に拒否もされなかったのでそのまま決定となるのはもう少し後の話。
それから2年後、エリアル学園始まって以来の天才児が入学するが、それはまだ先の事である。
もしも鈴の音を聞いたなら。
その場で動かずじっとしている事。
無暗に動いてはいけない。
動くなら、覚悟をしてから――…。
*****
その日もまた、穏やかな空気の流れる屋敷に鈴の音が響く。
屋敷全体に響くものではないが、発生源の近くにいる者にはしっかりと聞き取ることができるその音に。
不運にもその音を聞いてしまった者たちは、掃除していた者や荷物を運んでいた者など、だれかれ構わずその場で固まってしまった。
ピタリと動きを止めた者たちは微動だにしない。
そんな中、再び鈴の音が響く。
――チリン、チリン、リィン
音色の違う鈴の音は、ひっきりなしに聞こえたり途切れたりと不規則である。
「…いつもと、違う?」
そう誰かが呟いたその声は、今動きを止めている者たちが皆心に思っている事でもあった。
*****
所変わってここは屋敷の裏庭。
そこにはこの屋敷にいろいろあって居候中の銀髪の青年と深い蒼の髪の少年、そして白銀の髪の幼子が居た。
彼らの周りには多くの切断された的が転がっている。
幼子の様子を見るように少し後ろに居た青年と少年が幼子へと近づく。
「なぁんでテメーは全部切ってんだよ!」
「シュウ、ちゃんと印の付いた的を狙わないと」
そう2人に窘められた幼子――シュウはぷくりと頬を膨らませ、負けじと拙い言葉で反論を試みた。
「まとはまとだもん」
「お前練習の意味わかってねーだろ」
「いたいー!」
シュウの反論に青年は額に青筋を浮かべて片手で掴める幼子の頭にアイアンクローをお見舞いする。
青年の握力にシュウが悲鳴を上げるが、アイアンクローが止められる様子はない。
しばらく続いたその問答は、見かねた少年が仲裁に入るまで続けられた。
*****
「はは、そんなことがあったのか」
「笑い事じゃねーぞ」
時間は進み、良い子はとうに寝ている時間。
屋敷の一室では4人ほどが集まり談笑していた。
集まっているのは言わずもがな、この屋敷の主人夫婦とその長男、そして銀の青年。
青年から昼間の報告を受けた主人一家は呑気に笑っているのだが、実のところシュウ――次男の問題は大事だった。
「今はまだ一般人に被害がないからいいが、物品と俺とコウリュウは被害にあってるし、このままだと確実に他への被害があるぞ!?
確かにまだシュウは5歳に満たないが双禍の扱いはちゃんと教えねーと!」
「ビャクヤ、あまり騒ぐと血管が危ないよ?」
「誰のせいだと…っ!」
主人夫婦の次男坊シュウの所業を青年――ビャクヤは切々と訴えるのだが、いかんせんこの夫婦は揃ってマイペース。
そのマイペースさは2人の息子たちにもしっかりと受け継がれているのだから性質が悪い。
ビャクヤはシュウと一緒に今は夢の中に居る深蒼の少年――コウリュウと、今まで被害に遭った物品たち、そしてその被害総額を思い出して肩を落とした。
そもそもなぜ5歳にも満たない幼子がそれほどの被害を出しているのかというと、目の前にいる主人夫婦、特に夫のせいである。
シュウが4歳を迎えたその日、幼子は家族から一対の鈴をプレゼントされた(少なくともこの時点で幼子に渡すようなプレゼントではない)。
最初他の者たちは「なぜ鈴を?」と首を傾げたが、金と銀の鈴は表面に細かな細工が施されており、美しい音色をたてるために誰もが深く追求しなかった。
そしてそれが間違いであったと気付いたのはそれから約一月後。
気づいた時には色々とどうしようもない状況になっていた。
先ず最初の一月は何事もなかった。
しかし一月経った辺りから屋敷の庭の植え込みが、庭師が手入れしていないにも拘らず歪に剪定されていたり、屋敷内の物品(安い物から高いものまで様々)が鋭利な刃物で切られたような断面を見せて壊れていたり、コウリュウが「気づいたら切れていた」と言って頬や腕に切り傷を付けて手当してもらう回数が増え(コウリュウは痛覚が鈍い)、ビャクヤ自身も痛みが走ったかと思ったら血が出ていたという事があった。
さすがにこのままにしておくわけにはいかないと思い原因を探ってみると、意外にも早く判った。
原因は、シュウが誕生日に貰った一対の鈴。
それも、話を聞いてみるとどうやらシュウ本人には全く自覚がない。
実はこの鈴、持ち主の魔力を消費して武器となる特殊な武器、魔武器と呼ばれるものであった。
それも鈴内部に鋼糸が仕込まれているとんでもない代物だ。
なぜそんな物を4歳児に渡すのかと主人夫婦(特に夫の方)に問い詰めると(犯人だと確信があった)、「綺麗だから」とは妻と長男の言だが、「面白そうだったから」とは夫の言である。
それを聞いた瞬間ビャクヤが居候している屋敷の主人を殴りそうになったのは致し方ないだろう。
とにもかくにも、今更シュウから鈴を奪うことも出来ず(一度試してみてひどく泣かれた)、主人夫婦と話し合って武器の扱いを教えるという事になった。
そこから約3か月、事件発生からおよそ4か月の今日、庭に出て武器を実際に扱うという事になったのだが。
これがまた本人のマイペースさも加わって昼間の事と相成った。
ちなみに3か月の間一般人に被害はなかったものの、確実に物品被害は増えていた。
「まぁ、武器がよりにもよってあれだしなあ。指切ったりしなきゃいいけど」
「心配はそこか!?」
相変わらずの彼らの言葉にビャクヤが考えを放棄するまであと少し。
今日も賑やかに夜が更けていく。
白銀の輝きを宿すその子が生まれたのは陽頂月の中旬、草木が芽吹き暖かな色に満たされたころだった。
*****
病室に産声が響いたのは深夜。
草木も眠る丑三つ時とはよく言ったもの。
そんな時間に生まれた赤子は母親の腕に抱かれる…前に現在進行形で歳の離れた兄によって抱かれていた。
「母様、疲れて眠ってるのか」
「はい。産声を聞いて気を失うように」
「そっか」
お産を手伝ったのだろう看護師に教えてもらったオレは、赤子を抱いたままベッドに眠る母へと近づく。
ベッドに眠る母は銀の髪を広げ、疲労の様子を見せながらも穏やかな寝息だ。
いくらか歳をとってからの出産(何せオレたち兄弟の年齢はどう考えても一回り近く離れている)なので、随分と疲れただろう。
オレは母の寝顔を確認すると、母をゆっくりと休ませるためにそっと部屋を後にした。
*****
「顔は君に似ているな」
「あら、そうかしら?この部分などあなたにそっくりだと思いますけど」
「いや、やっぱり君に―…」
「……」
あの後生まれたばかりの弟を保育室に戻したオレは、仕事の関係で出産に立ち会えなかった父親へと、 弟が生まれたことを連絡した。
その際、通信の向こうがとても賑やかだったことは置いておこう。
どうせドジな父の事だ、嬉しさのあまり色々とひっくり返してしまったのだろう。
そんな父が病院へと着いたのは、日が高く昇ってから。
その頃には寝ていた母も目を覚まし、 我が子を腕に抱いて母乳を与えているところに到着(と書いて乱入と読む)した父は妻と弟の顔を見た途端、先の言葉となった。
「シグレ、あなたはどう思いますか?」
両親の言い合いを遠い目で見ていたオレ(シグレと言う名だ)へと、母が声をかけてくる。
少しばかり意識を遠い所へとやっていたオレは、母の声で意識を戻して呆れた様な溜息を吐いた。
「もうどっちでもいいよ。可愛いんだから」
額を押さえて言ったオレもまた、両親同様十分すぎるほどの兄バカだったようだ。
*****
そんな事が有ってからしばらく。
生まれた子供は『シュウ』と名付けられた。
母も産後の肥立ちがよく、無事に退院をし、家へと弟と共に帰ってきた。
家(と言ってもその規模は屋敷と言えるものであるが)に勤めている使用人たちは、初対面となる赤子にずいぶんと色めき立ち。
昔から居る者たちにおいては「シグレ坊ちゃんによく似ていますねぇ」などと、正直聞くには恥ずかしい事を口々に言ってくださった。
止めてくれ、本当に恥ずかしい。
恥ずかしさのあまり穴に入ったら入りたいなどと居候(この屋敷には数人の居候がいる)へと言うと、やめておけと言われた。
まぁ当然だ。
と、それは置いておくとして。
退院したとはいえまだ完全に体調の戻っていない母と赤子の弟がいる俺の役目は、 毎朝仕事へ行くのを愚図る(いったいどこの餓鬼だと言いたい)父を屋敷から蹴り出し(そう、文字通り蹴り出すのだ。使用人ではいささか役不足らしい)、 母乳以外の育児の手伝いをすることだ。
本当は使用人お役目なのだろうが俺も弟が可愛くて仕方ないし少し思うところもある。
そんなわけで俺は毎日忙しくも楽しくしている。
ちなみに、俺が生まれた時は仕事に出ようとしない父に手を焼いた母と使用人は、 母を実家に帰らせておってきたら離婚すると言いつけたらしい。
その反動か、母が帰ってきた時父はしばらく離れようとせずまた一悶着あったというのは古株たちの言だ。
*****
オレはおしめを取り換えたシュウを抱き上げてあやしてやる。
もう目が見えているのか少し怪しいが、シュウは菫色の瞳をきょとりとさせて機嫌は良さそうだ。
うん、やっぱり可愛い。
俺はそんな事を思いつつふくふくとした頬を突いてやると、キャッキャと笑い声をあげてくれた。
その様を見て、オレはフッと表情を変える。
「お前は強くなるだろうなぁ」
そう、シュウは誰に似たのか『力』が強いらしい。
内に秘める『力』を感じた、『力』を持つ者たちの満場一致の意見でもあった。
子供、特に赤子などはまだ感情に忠実だから、ふとした拍子に『力』が暴走する事もあって中々に危険である。
一度『力』が暴走すれば一般人ではそれを止めることは出来ない。
そんな理由もあってシュウの世話を引き受けているということもあるのだが。
今はまだ身体も『力』も小さいが、成長すればきっと強くなるだろうから。
今から楽しみでもあった。
いつのまにか寝てしまったシュウを見やって、オレはこの子が健やかに育つようにと一つ願った。
赤く染まる空と鼻につく臭い。
立ち上るのは黒煙。
ひっきりなしに聞こえてくるのは数多の悲鳴で、私は思わず耳を塞ぐ。
*****
その日は何の因果か世界に満ちる魔力がもっとも弱くなる日、落魔。
朝から感じるのは日頃よりも強い闇の気配。
この日だけは誰もが身に危険を感じ、もっとも用心する。
人間も、精霊も皆等しく。
唯一そうでないものは、闇から生まれた魔物だけ…。
*****
西北の最果て、そこにある小さな島では落魔の日でありながら聊か賑やかであった。
その原因は、島人達が生まれた時から可愛がっている子供の誕生日。
紅月輝く祈穏の日に生まれたその子は今日で丁度7歳を迎える。
広くない島であるがゆえにみなに知られた、可愛がられている少女―――レイナ。
だからこそ、このような日であっても賑やかなのであろう。
「誕生日おめでとうねえ」
「ありがと!」
「もう7歳か…早いものだな」
「子供の成長は早いといいますからね」
レイナに声をかけ、時にはプレゼントを渡し。
そんな様子を少し離れた場所から微笑ましく見やる者もいる。
「このまま、何もないといいのだが」
「そうね…」
そう、ぽつりと零したのは祝福を受ける少女の両親。
落魔の日だからか、その瞳には不安が浮かんでいた。
*****
最近、不穏な話が流れている。
それは小さな島国の集まるこの西北にまで届くほど。
その内容は、たちの悪い魔物の集団があるという。
それは大陸を、村を、小さな町を荒らしているのだと。
一番新しい話では北東の、ウェルディアの在る大陸だ。
魔物の集団の所業に東南の、魔導学園エリアルの在る地からいくつもの魔導ギルドが討伐に出たとも聞く。
しかしそれらは成果を上げることはできず、魔物の集団は今もそのままだと。
近々大掛かりな討伐隊が編成されるだろうとも聞いてはいるが。
討伐隊が早いか、魔物の集団がこの地に来るのが早いか。
彼らの心配と不安はそこであった。
*****
言祝(ことほ)ぎも終わり、縁側で出された料理を堪能する人達は。
不意に不穏なものを感じ取った。
「……何かしら」
「あまり、いい感じはしないな」
この地の人間は精霊と共に在る。
それゆえか、相反するモノには敏感であった。
そう、闇の気配には特に――…。
最初に聞こえたのはなんだったか。
悲鳴か、それとも危険を知らせる叫びか。
いっきに膨れ上がった闇の気配はとても濃く。
レイナの父は、思わず舌打ちをした。
「みんな、すぐに逃げるんだ!お年寄りには手を貸して!」
「島の反対側へ、そこならまだ魔物は来ていないはずよ」
レイナの両親は屋敷に来ていた島人達に、他の島人を連れて避難するよう促す。
一旦島の反対側へと逃げ、そこから転移魔法を使い別の地へと逃げる。
ここの島民には転移魔法を使える者はレイナの両親しかおらず。
転移魔法を使うには少しの時を要し、今近づいている魔物たちの距離では間に合わないだろうと判断したからだ。
が、しかし。
「だめだ、もう囲まれてる!」
「……っ!」
誰かの放った叫びと同時に、逃げようとしていた方向からも濃い闇の気配が立ち上る。
なぜ、どうして。
先程もそうだがなぜここまで近づかれて闇の気配に気づくことになったのか。
しかし考えている暇はない。
なんとかして島人と、妻と娘を逃がさなければと思考を巡らせる。
その間も屋敷の敷地外からは悲鳴が聞こえ、煙と火の手が立ち上る。
「仕方ない、一先ず屋敷の中へ!奥座敷ならば結界もある、しばらくもつはずだ!!」
彼の放った言葉に、その場にいた島人たちは無事な者にその事を伝えるため屋敷の外へと駆ける。
彼は妻と娘に、先に奥座敷へ向かうように言う。
自分は魔物達の相手と集落の人たちを連れてくるから、と。
妻が娘を連れて奥座敷へ向かうその間も闇の気配は近づき。
「ああ、ここに居たぁ」
「っ」
魔物たちが姿を現す。
禍々しい気配と異形の姿。
魔物たちの顔には見にくく歪んだ笑顔が浮かぶ。
他者を狩ることを楽しむ笑顔が。
「さて、転移魔法は妻も使えるからね。君たちの足止めは、俺がさせてもらおうか」
そう言って彼は、どこからともなく得物を出し構えた。
*****
娘を連れて奥座敷へ向かっていた女性は、不意に目を見開き立ち止まる。
彼女に手を引かれていた少女は周囲の異変と消える気配にすっかり怯え涙をにじませていた。
「………」
そっと視線を娘へと向けた女性は、クシャリと顔を歪める。
念の為にと彼女の夫が集落の周りに掛けた守りの魔法。
そして共に掛けた奥座敷の結界。
守りの魔法は解け、結界も最早然程の効果もないくらいにまで弱まっている。
それはつまり――…そういうことである。
感じられなくなった夫の力の代わりに強く感じるのは、この屋敷を囲う魔物の気配。
もう、逃げ場はない。
そう悟った彼女はクッと唇を噛み、娘の手と繋ぐそれに力を込めると。
再び奥座敷を目指して走り出した。
*****
たどり着いた最奥の一室で、彼女は娘に布に包まれたものをそっと手渡す。
「レイナ、これを」
「こ、れ…」
それは、刀袋に収められた一振りの刀。
少女が生まれる前からこの家にあった、家宝だというそれ。
「これは、先祖から守り伝えてきた大切な物。これを次に受け継いで守っていくのはあなたの役目」
「や…いやですっ!母上!!」
「もう、逃げ場はないわ。それに、転移魔法を発動する時間も。だからせめて貴女だけでも…」
そう言って彼女は娘の額に口付ける。
その瞬間、ドクンと胎動にも似た振動が体内を駆け巡った。
それと同時に少女の瞼がゆるりと下がる。
「月影、昼間のあなたに力が足りないのは知っています。ですがどうか、この子だけでも守って…」
少女の母の言葉に、影に潜んでいた精霊が頷くのがわかった。
それと同時に少女の周りに強固な結界が張られるのも。
レイナの意識が完全に途切れる前に見たものは、母の泣きそうな笑顔であった―――…。
それを交わしたのは、たしか幼子が声を聴けるようになって直ぐだ。
あの日の事は今でも鮮明に思い出せる。
体を駆け巡るのは歓喜の奮え。
これで、名実共に主になったのだと。
ようやくこの力を貸し与え守ることができるのだと。
貴女が我らの主であることが、至宝となった日の事だ。
*****
空は茜に染まり、もうじき日の暮れる時間帯。
西北の島国、その最果ての島にある平屋建ての庭で佇む影が一つ。
小柄なその影は腕に白いものを抱え、静かにそこにいる。
平屋の軒では小柄な影同様静かに、それを見やる一組の男女。
小柄な影――レイナはそんな男女を視界の端に、そっと地面へと顔を向け。
「げつえい」
ぽつりと名を呼ぶ。
その言葉に呼応するように蠢くのは、レイナの足元にある影。
影はゆらりと揺らめき実体となると、獣の姿を形作る。
影のように漆黒の、大きく裂けた部分が口であろうとしか判別のできないそれは。
ゆっくりと切れ目の両端を持ち上げた。
≪ようやく…。この時を、待ちわびた≫
「……本当に、いいの?」
≪是≫
影の獣(姿からして狼だ)から発せられたであろう声が響き、レイナは本当にいいのかと言葉をかける。
しかしそれに影狼――月影は一言答えるだけ。
その返答を聞いたレイナは、目を閉じひとつ深呼吸をする。
「わが名はレイナ、せいれいとけいやくせんとする者。大いなるやみのしんえんより生まれしものよ、
わが力をもってその名をしばる。われに力をかしあたえよ、――……。」
拙い声で厳かに唱えられたそれは、契約の詠唱。
レイナが最後に月影の真名を呼ぶと、月影の額部分と少女の胸元に光を帯びた同様の紋章が浮かび上がる。
浮かび上がったそれは契約印であり、その精霊との契約が無事なされた事を示す。
数秒浮かび上がっていた契約印はすぅっと薄くなり完全にその姿を消した。
「けいやく、終わった?」
≪是≫
「あらためて、よろしくね」
≪……≫
終了を確認したレイナが笑って言うと、月影はひとつ頷く。
かわらないね、と言ったレイナは、先ほどからずっと腕に抱えていた白いものを見やる。
「ちー?」
「……」
腕に抱えられていた白いものは、白九龍だ。
普段から少女の傍におり、“ちーちゃん”と呼ばれ仲良くしているそれは今現在むすっと不機嫌そうにしている。
「どうしたの?」
「……」
何が不満なのか白九龍は幼レイナの腕の中で不機嫌なまま、幼子の問いかけに答えるつもりはないらしい。
そんな翼竜の様子をじーっと見ていたレイナに、幼子らの様子を伺っていた女性が声をかける。
「レイナ、いらっしゃい」
「母上」
女性――母親に呼ばれたレイナは素直に近づく。
近づいてきたレイナを母親の隣に腰を下ろしていた男性、レイナの父親が抱き上げその膝に乗せてやる。
「先ずはおめでとう、ですね。ちゃんと契約できてよかった」
「うん。これでげつえいとずーっとおともだちなの」
「そうね」
契約の意味とは少々ずれているが、まあいいだろうと両親は笑いながら幼子の言葉に頷く。
そしてレイナの頭を撫でてやりながら、幼子の腕の中を見やって言う。
「レイナ、ちーはいいのですか?」
「ちー?」
母親の言葉にレイナは首を傾げる。
何がいいのだろうか、といった表情のレイナに2人が苦笑を漏らす。
「ちーも、あなたとずっと友達でいたいのでしょう」
「ちーとも契約してやってはどうだい?」
「……けいやく、したいの?」
「リュィ」
両親の言葉に少し考える様子を見せてレイナが問うと、変わらず不機嫌そうな様子ではあるがようやく白九龍が反応を示した。
どうやらレイナの中で月影との契約、それだけで事が完結していたのが気に入らなかったらしい。
反応を示した白九龍の姿に頷いたレイナは、再び契約の詠唱を唱える。
次に呼ぶのは白九龍の名。
こうして幼子は、生涯を共にする己のガーディアンを手に入れた。
ようやく声が届いたと歓喜したのは、さていったいいつの事だったか。
記憶に残るのは、幼い時と木漏れ日である。
*****
チチチ……と、常なら聞こえそうな程天気の良い中。
木漏れ日を提供する木々の枝には鳥ではない生物たちが集まり、ある一角を見つめている。
鳥ではない生物――精霊たちの視線の先には巨大な亀と、本来ならこの場にいることなど滅多にない人間という種。
そんな人間の中でも特に精霊たちが見つめているのは、陽に煌めく金色の髪を靡かせ元気に動き回る幼子――レイナの姿。
大空を切り取ったかのような碧眼が見つめる先には大きな猫か小さな犬ほどの体躯をした白い翼竜がいる。
「ちー!」
「リュリュィ!」
レイナは“ちー”と言いながら白い翼竜を追いかける。
当の翼竜はというと、楽しそうに幼子の手が届くか届かないかの位置を幼子のペースに合わせて飛んでいる。
そんな1人と1匹の様子を少し離れた場所から見守るのは1組の男女と大亀。
≪ほんとうに、レイナは元気じゃのぅ≫
「ふふ。やんちゃ盛りで毎日大変ですよ?」
≪子どもというのはそれくらいがちょうどいい≫
人の身の丈より遥かに高い背を持つ大亀は、己の傍に座る女性となるべく視線が同じになるようにとその頭を地につける。
そして周囲に優しく響くのは大亀――翁の声。
空気を振動させ響いたそれが、周囲に生える木々の葉を揺らす。
木の葉を揺らしたそれは1匹、また1匹とこの場へ精霊を集める。
こんにちは
来ていたのね
待っていたよ
ちい姫は白九龍と遊ぶのに夢中なのね
人の言葉とは決して違う、音。
声なき声で話されるそれは“聞く”力を持つ男女と、同族たちにはしっかりと聞こえている。
しかし未だその力が未熟なレイナには聞こえる声はわずかで、翁や月影と言った力の強い精霊の声しか聞き取れない。
だから、精霊たちはいつも早く声が届けばいいと祈っている。
「……?」
と、不意に白九龍と戯れていたレイナの動きが止まる。
その様子に幼子の様子を伺っていた者たちは不思議に思う。
どうしたのだろう
何かあったのか
怪我でもした?
「レイナ、どうしました?」
「うー…」
未だ届かない精霊たちの声を代弁するように、翁の傍にいた女性が声をかける。
首を僅かに傾げ、優しい黒の髪が肩から滑る落ちる。
「母上」
声をかけられたレイナは振り返り、己を呼んだ女性――母親を呼ぶ。
「どうかしたのですか?みなが心配していますよ」
「なにか、聞こえるの」
「なにか…ですか」
「うん」
母親の言葉に頷いて、幼子は周りを見渡す。
見渡す先に見えるのは、両親と翁と精霊たち。
聞こえる?
聞こえたのかな?
ようやく届いた?
周囲にいた精霊たちの声が弾む。
その声はひとつふたつと波紋のように広がり、全体へといきわたる。
「……こえ?」
コトリ、と首を傾げ幼子は耳を澄ませる。
そうすれば、僅かに聞こえてくる多くの声たち。
それは少しずつ大きくなり、鮮明になり。
「せいれい?」
まだフィルターを通したかのようにくぐもってはいるが、今までとは違い様々な声が聞こえる。
両親と翁と、精霊たちの奏でる音しか聞こえなかった空間が。
今は様々な声に溢れ賑やかになっているのだ。
届いた!
ようやくだ!
聞こえるようになったのね おめでとう!
ちい姫、ちい姫
遊ぼう
精霊たちの喜びに、木々も呼応するかのように音を奏でる。
レイナはそんな精霊たちをぐるりと見渡し、しばし唖然。
これ程にも声が溢れていたなど知らなかったのだから当然か。
「みんなの声、だったのね」
「そうよ。みんな、あなたに声が届くのを楽しみにしていたのですから」
「そう…だったんだ」
寄ってきた精霊たちに囲まれて、幼子は届いた声に顔を綻ばせた。
遊びに誘う声にゆるゆると口端が上がっていく。
「うん。いっしょに、あそぼ」
最上級の笑顔を見せて、レイナは言う。
これからは、たくさんの精霊と戯れる幼子の姿が見れるのだろう。